3/20〜28までの一週間、イタリアにザンスク旅に行って参りました!
三月はサイト開設から鮫誕からTi amo XS2に掛けてまで本当に急ピッチで日々が過ぎていきましたがプチの気分をそのまま持っていきたい!と思い、東京から帰って一日もしない内にすぐ飛び立ちました。おかげで図々しくも二週間の有給を使った職場に復帰した時にはもうその存在を忘れられまるで最初から居なかったかのように扱われいやまぁこの辺の悲しい話はいいです ザンスク者としては二人の暮らす本場に赴くのは究極の聖地巡礼だと思い、いつか行かねばならん…!と心に決めて早6年が過ぎました。その悲願を遂に叶える事が出来て嬉しいです! 掲載してある景色や建物の写真などはザンスク者さんに限りオールフリー素材ですのでもし使えそうなのがあれば何かの表紙なり漫画の背景参考なり幾らでも勝手にお使い下さい〜〜〜報告不要ですっていっても糞スペカメラに加えて素人撮影なので…
そんなこんなで二十日の早朝6時から空港に行ったのに飛行機にやっと乗れたのは12時でもうこの時点から嫌な予感がする…って感じだったんですがそれは見事的中しました もしかして私は超直感持ちだったのか…?“選ばれし者”…なのか…?
そこからまず12時間ちょっと掛けて乗り継ぎの為にオランダのアムステルダム空港へ行きます。飛び立って3時間で既にもうホームシックです。日本が恋しいです。帰りたくてしょうがないです。 某国際線の機内食は異様にパサついていてその癖量が馬鹿みたいに多いです。そしてドリンクサービスの頻度がこれまた馬鹿みたいに多いです。いくら寝ようとしても20分間隔で「Would you something to drink?(にこやかな笑顔で) 」と言われて半強制的に起きていさせられます。更にシートTVに内臓された映画には日本語で見れるものがほとんど無く、何故かジャパニーズムービーの代表として『sukiyaki』という訳の分からないものがありました。ちなみにこれは意外と面白かったです。
参考までに機内食を一枚。右のは検尿ではありません
おまけに時差のせいで窓の外はいつまで経っても明るくて夜が来る事がなく、この12時間ほぼ寝れませんでした。しんどかった。(小学生並みの感想)
このような地獄を乗り越えて辿り着いたアムステルダム!
向こうの募金箱はちょっと変わった形ですね。ここで次の便待ちをしてる時にいきなりいかつい白人さんに手帳を差し出しながら「サインをしてくれ!日本語で!!」って頼まれて、快諾したら飛び上がるほど喜ばれて何かこっちまで嬉しくなりました…!
ここからまた3時間掛けてイタリアに飛びます 機内から。ブレブレですがここの夜景は本当に綺麗だったのです。日本みたいに高層ビルが少ないぶん細やかな光がいっぱいあって何かほんとに外国だなぁ…と思いました!
そしていよいよin ミラノ ファッションの都です! 左: ボスが吸ってそうな葉巻発見! 杏子風に「吸うかい?」と差し出されてキョドり度MAXでした アイアムノースモーカー…
そしてまず最初に《スフォルツェスコ城》です!
ヴィスコンティ家の要塞で元は小規模だったものを、15世紀後半にフランチェスコ・スフォルツァが増築してミラノ最大の城にしました。
ミラノチルドレン 目が合ったら手を振ってきてくれて皆可愛かった〜〜〜♥
《スカラ座》 1778年に建てられた宮廷以来の伝統を持つ劇場で、イタリアオペラ界の最高峰、オペラの殿堂と名高い。
開演表。右下には敢えて何もコメントしません。
お次に《ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世》です!
このアーケードはドゥオモ広場とスカラ広場を結んでいるもので、イタリア再統一を記念して12年掛けて建てられたものだそうです。世界初。通称『 ミラノの応接間 』 左: ガラス天井が美しい!でもこれ、もし地震とかで落ちてきたらどうするんだろうか?
十字路の中央にあるドームの下にはミラノから東西南北にあたる四大陸(アメリカ・中国・アフリカ・北ヨーロッパ)を抽象的に描いた フレスコ画が。これはどこだったかな…
【雄牛のモザイク】 股間部分はすり減って窪んでます。この局部に踵を当ててくるっと回ると幸せが訪れるという言い伝えが。 / ひぎぃっ!あぁっ そ、そんなに強く踏んじゃらめえぇええン゛モ゛オオオオオ!! \
次はいよいよ《ミラノ大聖堂》です!
見た瞬間思わず「オウフwww」と口に出してしまうくらい凄まじかったです。正に荘厳といった言葉が似合いますね…! ゴシック建築様式の至高ですね。金銀細工が施された尖塔が135本、一番高いところにある黄金のマリア像マドンニーナ(これだけで4m!)まで108.5メートル。1386年にミラノを統治していたジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命により聖母マリアに捧げる為に建設が開始され、500年後の1887年に完成。央尖塔の建設に当たってはミラノの美術家たちに設計案を募り、あのレオナルド・ダ・ヴィンチも応募したんですが、落選しちゃったそうです! 右下の最大アップにした写真からも分かるように、柱の裏側や出っ張り、その細部に至るまで丁寧な装飾彫られています。通称『 気まぐれ菓子職人のデコレーションケーキ 』 溢れ出すスイーツ臭
入場の際は厳重な手荷物検査と服装規制があります。女性も男性も肩や足が出る(タンクトップやミニスカート、短パン、サンダルなど)恰好は礼儀に反するのでスカーフなどで隠さなければなりません。
中に入るとなんとも神聖な雰囲気に包まれます。沢山の巨大なステンドグラスから仄かに射し込む光に映し出された柱が林立してアーチ状の天井を支えているのが見え、ちょうど薄暗い森の中で巨木に囲まれるようです。
ドゥオモ広場 ここで最大の問題となっているのが黒人のミサンガ売りです。三人くらいでワッと集まってきて一瞬でパッと手首に紐を巻き付けお金を要求します。
国軍の行進パレード いきなり来たのでビックリ
SHARPミラノ支部!
in ヴェローナ(世界遺産)
ミラノから約3時間 “高貴なる都市”ヴェローナはシェイクスピアの悲劇『 ロミオとジュリエット 』の舞台街!長い歴史故に旧市街には古代ローマや中世の建造物が多く残り、2000年に世界遺産に登録されました。
どんなに歴史的なイタリアの街でも、お店の看板だとか最先端の車だとかそういう部分で何かしら現代の空気があるものですが、このヴェローナの違う所はそれらがほとんど感じられないという事です!
ヴェローナは街全体が古代の遺跡の上にあるので、地下を掘り返すとどこでも遺跡があります。いちいち保存していてはキリがないのでこのように道路の真ん中に12世紀の跡があったりと凄い!
メインのカプレティ家の邸宅、別名《ジュリエットの家》に!
まず入り口の門横の壁に、このように無数に敷き詰められた落書きがあります!よりにもよって世界遺産に何て事!と思いますが何とここは愛の巡礼地として特別にそれが許されているらしいです!国公認とは…! 至る所に鍵が!これもまじないの一種です。ロマンチックだなぁ…
これがかの有名なあのバルコニー!
ジュリエット像!この右胸に触ると幸せになるとか恋が成就するとか言われているので摩擦ですっかりつるつるになっています。
ちなみにジュリエットの家には、“ジュリエットの秘書”と呼ばれる人たちが居て、恋愛に関する相談を手紙で受け、全てに手書きでお返事を書いてくれます。年間5000通も来るんだとか。
ここからカッペッロ通りを行くとエルベ広場に出ます。エルベとは野菜のことで、古代ローマ時代より市場が開かれていました。今でもその名残はあり、屋台で土産物などが売られています!
左: 鮮やかなフレスコ画が外壁に残される16世紀の商人、マッツァンティ家の館 左: 聖マルコ羽の獅子石像はヴェネツィアのシンボルなんですがここにも!
イタリアはスリの国と言われるほど盗みが多いのでダサイのを我慢してでも腰に巻くタイプの鞄の中にパスポートなどを入れなきゃいけないらしいんですがそれでもナイフとかで切られる事もあると聞いて恐怖
ヴェローナのアレーナは大きさはコロッセオの3分の2ですが、座席のほとんどが残っているなど、イタリアで最も保存状態が良い古代ローマの円形闘技場です。 どれにしようか迷ってる幼女
窓に積もった埃などにすぐ消える落書きをする人が多くこれなら町を汚さないで済みますね!って事でザンスク一丁
市場で買ったロミジュリ扇子
その晩泊まったホテルはかなり高めのとこでしたのでネット回線が繋がっていてTwitterにも繋がりおおー!と思ったけど勿論日本語なんて使えず italia now hotel ni oitearu PC kara utteru kedo nihomgo utenai warota www posted at 05:01:46 tteiuka nihon ima 05:00kayo!!!!!!! kotti yoruno 9:00...oh... posted at 05:12:15 sosite italia bukka takasugi WAROENAI mizu ipponn 300yen ababa posted at 06:46:09
↑こんな感じでローマ字でツイートしてました懐かしい
おまけ マルコさん
お次は皆さんご存知水の都ヴェネツィアです! |